クロ・デュ・ヴァルの歴史
1970年、フランスのボルドーにルーツを持つアメリカ人実業家ジョン・ゴレは、「世界最高のワインを作る」ための新天地を見つけるために、同じくボルドー出身のワインメーカー、ベルナール・ポーテを候補地の調査に送り出しました。2年後、5大陸を歩き回ったポーテはカリフォルニアに到着。偶然車の窓から腕を出しながらカリフォルニア中をくまなく運転して回っていた時、ナパヴァレーの比類稀なマイクロ・クライメート(局地気候)に驚いたのでした。日中の気温はかなり上昇するのに対し、夜は太平洋とサン・パブロ湾からの霧によって冷やされるという、ぶどう作りにはまさに理想的な気候条件がそこにあったのです。そして当時はまだ無名だったスタッグスリープののどかな土地柄。ポーテは迷うことなくこの地を世界最高のぶどうを生み出す“その土地”としてゴレに提案しました。ゴレはすぐさま150エーカーの土地をスタッグスリープ地区に購入。1972年に“小さな谷の小さなぶどう畑”クロ・デュ・ヴァルが誕生したのです。また、1973年には、冷涼なカーネロス地区の中でも一等地である、丘の斜面側にも180エーカーの土地を購入しました。
ベルナール・ポーテのワイン造りのフィロソフィーは当時から変わることなく、「ナパヴァレーの傑出した果実味とヨーロッパ伝統のワインメイキング手法の融合」を目指すことにあります。こうしてナパヴァレーで最高のぶどうを得たポーテは、クロ・デュ・ヴァルのワインスタイルとして知られる、“バランス、エレガントさ、複雑さ、そして長い余韻”を表現した“エステート・スタイル”ワインを造り出したのです。
ワイナリー設立当初からその傑出した品質は高い評価を受けてきました。1976年パリ・テイスティングに、カリフォルニアから出品された5本のうちの1本として、クロ・デュ・ヴァルの初のヴィンテージであるカベルネ・ソーヴィニヨン1972年が選ばれたのは、有名な話として語り継がれています。また、その10年後のリターンマッチでは、その同じカベルネ・ソーヴィニヨン1972年が、10年の熟成を経て見事優勝し、更に評価を高めることとなりました。
今日、クロ・デュ・ヴァルのワインメイキングは、ワインメイキングの最高責任者であり、ヴィンヤードおよびワイナリー・オペレーション担当副社長であるジョン・クルーズと、創業者であるベルナール・ポーテの協力体制で進められています。2人は“ヨーロッパの伝統的手法とナパヴァレーの傑出した果実味の融合”という、クロ・デュ・ヴァルのワインスタイルに対する強い情熱を共に分かち合っています。また2人がチームとなってクロ・デュ・ヴァルの全てのワインに対して、ブレンドの最終決定を行っています。その結果、クロ・デュ・ヴァルのワインは真の意味で世界に通用する特徴を兼ね備えたワインになっているのです。
クロ・デュ・ヴァルの“最高のワイン”への挑戦はさらに続いています。ジョン・クルーズを中心として進められている、カーネロス地区でのシャルドネとピノ・ノワールの新プログラムや、ボルドー・ブレンドのプログラムはそのほんの一例です。ベルナール・ポーテが確立したクロ・デュ・ヴァルのワインスタイルの可能性を、ジョン・クルーズを中心とした若い世代がさらに飛躍させていく・・・クロ・デュ・ヴァルの“最高のワイン”造りへのコミットメントには終わりがありません。
クロ・デュ・ヴァルの歩み
| 1970: |
オーナーのジョン・ゴレがワインメーカーであるベルナール・ポーテと結び、至高の品質とキャラクターを作り出す「シャトー」を創るべく、世界各国のワインの産地の調査を行う。ポーテはその土地にナパヴァレーを選ぶ。 |
| 1972: |
ポーテが、クロ・デュ・ヴァル・カベルネソーヴィニヨンとジンファンデルの最初のヴィンテージを買い付けぶどうにより仕込みをする。同じ年、後に“スタッグスリープ・ディストリクト”と呼称される地区に土地を借り、クロ・デュ・ヴァルの畑として初めて植え付けを行う。 |
| 1973: |
ゴレがワイナリー用地としてスタッグスリープ・ディストリクトに150エーカー(約61ヘクタール)、カーネロス地区にぶどう畑用地180エーカー(約73ヘクタール)を購入。 |
| 1974: |
竣工した自社ワイナリーでの初の仕込み。またワイナリーの初のヴィンテージであるカベルネソーヴィニヨン1972年が6ドルでリリースされる。 |
| 1975: |
ホワイト・ハウスの晩餐会ににクロ・デュ・ヴァルのワインが初登場。カベルネソーヴィニヨン1975年がサービスされる。 |
| 1976: |
ボルドーワイン対カリフォルニアワインの世紀のブラインド・テイスティングとして著名なパリ・テイスティングに、カリフォルニアを代表する5本のワインのひとつとしてクロ・デュ・ヴァル・カベルネソーヴィニヨン1972年が選ばれる。 |
| 1978: |
カーネロスより購入したぶどうで造ったピノノワールとシャルドネを初めてボトリングする。 |
| 1979: |
初のスタッグスリープ・ディストリクトのジンファンデルを生産。同年、カーネロスの自社畑に貯水池を建設。 |
| 1980: |
自社カーネロス・ヴィンヤードにシャルドネの栽培開始。同じ年、輸出プログラムを開始する(カベルネソーヴィニヨン1977年を英国に初輸出)。 |
| 1981: |
同じく自社カーネロス・ヴィンヤードにピノノワールの栽培を開始。 |
| 1983: |
自社ぶどうのみで初めてカーネロス・シャルドネを試験的に作る(リリースは見送られる)。同じ年、テイスティング・ルームがオープンする。 |
| 1984: |
自社ぶどうのみで初めてカーネロス・ピノノワールを試験的に作る(リリースは見送られる)。また、会長であり創業者のベルナール・ポーテがワイン・インスティテュート(在サンフランシスコ)の理事に選出される。 |
| 1986: |
1976年の「パリ・テイスティング」のリターン・マッチでクロ・デュ・ヴァル・カベルネソーヴィニヨン1972年が優勝。これはフランスワインとカリフォルニアワインの熟成後の味わいを競うために、1976年のテイスティングと全く同じワインおよびヴィンテージで争われた。これにより、クロ・デュ・ヴァルのワインは耐熟性においても世界のトップにあると証明された。 |
| 1988: |
カーネロス・シャルドネの初ヴィンテージ(1986)をリリース。 |
| 1989: |
スタッグスリープ・ディストリクトが正式にナパヴァレー内の指定栽培地域( AVA - American Viticultural Areas )と認定される。 |
| 1992: |
カーネロス・ピノノワールの初ヴィンテージ(1988)をリリース。 |
| 1996: |
カベルネ・プログラムのワインメーカーとしてキアン・タヴァコリを迎え入れる。 |
| 1997: |
ワイナリー設立25周年。ベルナール・ポーテがナパヴァレー・ワイン・オークションの会長を務める。 |
| 1998: |
ワイン&スピリッツ誌の「ワイナリー・オブ・ザ・イヤー」に選出される。 |
| 1999: |
ヴィンヤードおよびワイナリー・オペレーション担当副社長、ジョン・クルーズを迎え入れる。同年、ワイン&スピリッツ誌の「ワイナリー・オブ・ザ・イヤー」に2年連続で選ばれる。 |
| 2001: |
2月にワイナリー経営責任者として、デービット・キャンベルを迎え入れる。同年11月、経営最高責任者に就任。 |
| 2002: |
ワイン&スピリッツ誌の「ワイナリー・オブ・ザ・イヤー」に4年間で3度選出される。ワイナリー設立30周年。 |
美の三女神
クロ・デュ・ヴァルの究極の哲学は常に「良いワイン」と「良い食べ物」と「良い食事」という、人生の最も素晴らしい喜びを祝福する事にあります。そんなクロ・デュ・ヴァルを象徴するのは、“スプレンダー”、“マース”、“グッド・チアー”という、古代オリンピアの祝宴で歌い、踊り、祝福をした、ゼウスの 3 人の娘たち以外には考えられないでしょう。クロ・デュ・ヴァルはそうした3 人の女神の名に恥じないように頑張っているのです!
|